PROFESSIONAL MESSAGEプロフェッショナルメッセージ

内田 喜基Yoshiki Uchida

PROFILE
1974年静岡生まれ。博報堂クリエイティブ・ヴォックスに3年間フリーとして在籍後、2004年cosmos設立。広告クリエイティブや商品パッケージ、地場産業のブランディングにとどまらず、ライフワーク「Kanamono Art」ではインスタレーション・個展を開催。その活動は多岐にわたっている。受賞歴:D&AD銀賞/銅賞、Pentawards銀賞/銅賞、OneShowDesign銅賞、London international awards銅賞、Red dot design award、NYADC賞、日本パッケージデザイン大賞銀賞など。東京デザインプレックス研究所プレックスプログラム登壇。

“自ら動く”ことが、すべての始まりになる。

勉強は苦手でした。ただ、幼いころから絵だけは褒められていました。中学生になってもドジョウを捕まえて喜んでいるような、不思議な子供だったと思います。図鑑が好きでよく読んでいて、珍しい昆虫や魚などは、今でも名前が言えるくらいです。

大学では、産業デザイン科を専攻しました。ちょうど自宅から近い地域に大学が新設されて、学科試験なしで入れたんです。正直その頃は、デザインを職業にしていく、という信念はありませんでした。もっといえば、絵は描いていたいけれど仕事はしたくないというか(笑)。就職活動せずにずっと引きこもって絵を描いていました。そんな自分が変わったのは、卒業式当日。仲の良かった友人たちに、東京で働くことになったと告げられました。その時の友人たちのキラキラした目は、今でもよく覚えています。正直、羨ましかった。だから自分も、と卒業式後に一念発起して就活をし、彼らの後を追うように上京しました。初めての就職先は、電通の仕事をメインとする会社でした。仕事は辛かったけれど、大きな仕事をしている実感はありました。また、当時はMacがオフィスに1台あるかないかの時代です。僕が通っていた大学は新設校だったので、運良くMacに触れる機会がありました。そのため、“フォトショッパー”というあだ名までつけられるくらい重宝されました。ただ、順風満帆とはいきませんでした。体を壊して会社を辞め、転職を繰り返す時期を経験しました。しかし、良い方々との出会いをきっかけに、博報堂クリエイティブ・ヴォックスにてフリーで仕事が出来ることになり、その後29歳の時にcosmosを立ち上げました。その後も色々な人たちに出会い、雑誌の企画で同世代のクリエイターの存在に触発され、賞を意識するようになったのは35歳の頃です。周りの人より随分遅いチャレンジでした。

自分はいわゆる有名な美大を出ているわけでもないですし、輝ける道を歩んできたわけではありません。ただ、愚直にデザインをし、人に恵まれ、その縁のおかげで今の自分があります。やはり大切なのは、自ら動くこと。その結果、色々な人に出会い経験し仕事が生まれました。動くこと、チャレンジすることは、きっと人生の糧になるはずです。